映画「ハムネット」を観た
私はシェイクスピアが好きだ。全ての作品を観劇して、読んだわけではないし、ちゃんと理解しているかは怪しい。それでも、シェイクスピアの作品は好きだ。
そんなシェイクスピアとの出会いは、高校2年の時だった。
当時カナダの高校に通っていた私は履修していたEnglish Literatureという授業でシェイクスピアの講読をした。読んだのは『マクベス』と『ハムレット』だった。ようやく英語は難なく読めるようになったと思っていたが、古典英語を初めて目にし、絶望的な気持ちになった。輪読では、どこを読んでいるかすら分からなかった。
それでも徐々に分かってくると、その面白さにのめりこんだ。現代英語訳や日本語訳もすぐに読んだし、映像化されているものも見漁った。娯楽に乏しい田舎の高校生には至高の娯楽だった。
中でも、好きだった「ハムレット」が映画化されると知ってから、早く観たいという気持ちでいっぱいだった。アカデミー賞を取ってからはより早く観たいという気持ちが高まった。それでも、顔がやつれるほど不快な労働の日々がスクリーンから自分を遠ざけていた。
ようやく観る日がきた。映画が始まると、前半の冗長さに、苦痛を感じていたが、そんな心配はすぐに吹き飛んだ。突然物語が展開していった。
ジュディスが患った病をハムネットがかばうシーンに涙した。より正確には、「泣きそう」と思った時にはもう、頬がびしょびしょになっていた。泣いていることに気づいてからは、嗚咽を抑えるのに必死だった。涙と鼻水と嗚咽が一気に押し寄せてきた。
特に何かを連想していたわけではなかった。とにかく目の前に広がる光景に涙が止まらなかった。こんなに涙するのはいつぶりだっただろうか。
「それでも世界は回り続ける」という言葉の通り、ハムネットの死を受け入れきれないまま、映画は進んでいく。亭主関白気味なシェイクスピアと、我が子が胸の中で死んだアグネスのすれ違いも胸が傷んだ。そして素直になれずに一人苦しむシェイクスピアも苦しかった。
そうして心が落ち着かないまま、ハムレットの初演が始まった。ハムレット演じる青年がハムネットをそのまま成長させたような顔立ちで、彼の顔を観た瞬間にまた、涙と鼻水と嗚咽が押し寄せた。今度は感動しすぎてスクリーンを観ることさえできなかった。嗚咽も我慢しきれなくなっていた。そして何より、シェイクスピア、アグネスのそれぞれが、それぞれの仕方でハムネットの死を弔うことができて本当によかったと思った。
そうしているうちにエンドロールが始まり、涙、涙の映画鑑賞が終わった。気づけば、一緒に観ていた友人も涙していた。髭を生やした目つきの悪い男と、髭つきの特攻隊員みたいな男の2人が並んで涙していたと思うと笑ってしまった。
映画を観て涙するのはもちろん、日常生活の中でも最後に泣いたのがいつか覚えていないほど、泣いた記憶がなかった。生活の中に、泣くという感情(厳密には喜怒哀楽)がどれだけ失われていたのか、そのことにびっくりしてしまった。そして、まだまだ味わうことがない感情があることに気付かされた。その意味で、「ハムネット」に今、出会えたことが本当によかった。今まで経験してきたこと、今まで感じてきたこと以外の感情がこの世界にはまだ広がっていることを知れたことが本当によかった。そして、泣くということを思い出させてくれたことが本当によかった。
ややネタバレしてしまったような気もするが、ここまで読んでくれた方にはぜひ、「ハムネット」を観て欲しい。そして何かしらの方法で感想を教えて欲しい。

