可能性に賭ける人
新卒就職からのスピード退職&転職で考えたこと
つい先日、この4月に新卒で入社した会社を退職した。そして新しい会社での日々が始まった。最終出社自体は4月の末頃だったので、半月近く色々と考えるための時間があった。そこで考えたことについて書き残しておこうと思う。
僕の今までの人生を振り返ると、僕はすごく恵まれていたことを改めて実感する。特に、人に恵まれていた。そうした人々の期待に応え、そして自分がやりたいこと、実現したいと思っていることをどうにか形にしようとしてきた人生だったと思う。
どんな人に恵まれていたのだろうか。それは、「僕という人間の可能性」を信じてくれる人だ。そしてそうした人のおかげで、今日までやってこれたことが少なくない数あった。
初就職
今年の3月に大学院を修了し、4月に新卒として会社に就職した。厳密には会社ではなく、公益財団法人なので、いわゆる民間企業とは様々な場面で異なることが多いのだが。
4月1日から研修が始まり、毎日9時から17時まで手狭な会議室に新卒6名が入れられ、名刺交換の仕方、電話応対の仕方、お茶の汲み方などの「ビジネススキル研修」を動画で受けた。他にも、その会社はある法に基づいた業務を執行していたので、その法についての研修などもあった。連携ができていないのか、重複する内容も多かった。同期はまあそれなりに楽しそうにやっていたが、僕は日が経つにつれ、悔しさが募っていった。
他の方からお金を頂いて事業を行う、進めるという意味での仕事は、大学に入る前、つまり6年以上前からやっていた。非営利団体でも、スタートアップ、大企業でも「仕事」をしてきた。もちろん、学生が片手間でやるのと、”本当の仕事”は違うことも当然分かっているし、反面そうとも言えないことも知っている。でも、こうした経験がある僕がこれから2ヶ月近くもこうして放置されることに対する悔しさがあった。
そして悔しさの理由はそうした研修コンテンツのクオリティやレベルだけではない。初期配属で総務部に新卒6人全員が配属された。そして人事異動のタイミングで配属が変わるかどうかは、「分からない」(原文ママ)と言われた。僕は修士卒の26歳だ。もし仮に、このまま総務部で2〜3年過ごしたら、転職先はあるのだろうか。こうした不安も募っていた。
悔しさを感じていたのは心だけではなかったようだ。後で聞いた話だが、入社2週目に会った知人は僕の顔がやつれていたことを心配していたという。母親は目つきがずっと怖くて話しかけにくかったと言っていた。そして僕の右のリンパはなぜかずっと腫れていた。
会社が悪い?そうではないのだと思う。「そういうもんだ」という前例・決まりのもと、粛々と新卒研修を行なっていただけだし、むしろ僕のような人間の方が少ない(本当はそう思ってはいない。むしろ東京の学生に限れば僕のようなタイプは増えているんじゃないだろうか)。わずかしかない人事のリソースでは、わずか6人しかいない新卒であっても個々の特性に合わせた対応などできるわけがない。
自分が悪い。そうした経験にあぐらをかいて、アンラーニングできなかった自分が悪い。真っ白な気持ちで、心新たに学ぶことができなかった自分が悪い。そう思っておいた方が色々と楽な気がしていた。
転職
本当にそうなのだろうか。現職の会社に声をかけてくれたのは、僕がB3の時に出会った人で、この1年は同じ組織で仕事をしていた人だった。「もっと面白いことできるよ」、「こんな人と今働けるのはいい経験だと思うよ」、その人の言葉に気づけば興奮していた。
大学・大学院での経験を踏まえて僕に声をかけてくれたことも嬉しかった。「そうした経験を活かして欲しい」そう言われた時は救われた気さえした。前職を入社3週目に辞めることを決意し、4週目に辞表を出した。
転職先、すなわち現職はAI開発企業だ。莫大なリソースを投下してブン回すのではなく、smarterなモデルの開発を行なっている。それだけではなく、政府や省庁、エンプラ向けのビジネスも行なっていて、最近では防衛向けのプロダクトの開発も行なっている。そんな企業のCommnunications Teamの1人として働いている。今最もホットなインダストリーに身を置けること自体が凄く刺激的だし、その中で自社のナラティブを考えて、それを社会に発信できることも面白みを感じた。そして何よりも今までの経験や研究ともより親和性が高い気がした。
前職について色々と書いたが、転職した理由は上記の通り、現職が魅力的だったこと、ここでこのオファーを断るほうがfoolとしか思えなかったからだ。それは以下でも述べた。
可能性に賭ける人
僕が苦痛を感じるのは、すべき仕事が大量にある時でもなければ、インプットしなければいけないことに追われている時でもない。これをやることに意味があるのか、その意味を見出だせない時だ。いわゆるブルシット・ジョブに直面した時だ。
そんな苦痛に直面している僕を助けてくれたり、機会や場所を提供してくれたりする人は、いつも決まって、僕の可能性に賭けてくれる人だ。ややクリシェに聞こえるかもしれないが、僕はこうした人の存在で生かされていると言っても過言ではない。感謝しても感謝しきれない。
分かりやすい実績があったわけでも、特に何かに秀でていたわけでもない、私大の学生を拾ってくれ、育ててくれたPIVOTや、The HEADLINE(リバースタジオ)、Public Meets Innovation、AIガバナンス協会、TBS CROSS DIGのお陰で得られた機会やチャンスが本当にたくさんあった。TBS CROSS DIGに出会えたのは、PIVOTで働いていたからだったし、AIガバナンス協会、より古くは東大の大学院ゼミにもぐったことが現職との点を作っていた。
皆が皆、僕の可能性に賭けていたわけではないと思う。もっと実利的な理由があったこともあるだろうし、もっと感情的な理由だってあったのかもしれない。今でも何なんだアイツはと思っている人もいると思う。それでも、少なくとも、僕から見れば、可能性に賭けてくれたとしか見えない。そしてそう思いたいのだと思う。だからここまで頑張って来れたし、今も頑張ろうと思えているのだと思う。
男性で異性愛者であるという意味ではマジョリティだが、キャラクター的な意味で言えば、決してそのマジョリティの恩恵を受けているわけではない。社交性は低いし、人の好き嫌いも激しい。物言いはストレートだし、デフォルトで態度がデカい。そうした自分だからこそ、これまでのようなチャレンジ枠をくれる人の存在が生きる希望になっている。こうして助けられ続けてきた。今回の転職は、そのことに気づく機会になった。
もう数年は可能性に賭けてもらえる人でありたい。欲を言えば、ずっとそうでありたい。ただ、もう少ししたら反対に僕も他者の可能性に賭けられる人になりたい。別に僕が関与せずとも上手いことやれる人にはあまり関心がなくて。むしろ僕に似て上手に生きられない人の可能性に賭けたい。そしてリベラル的な呪縛から解き放たれてしっかり育てたい。この与えられた可能性を、自分のためだけでなく、他人のためにも使えるようになって、恩返しができるといいなと思っている。
(サムネイル:Greg Willson, Unsplash)

