断片的で部分的な読書記録(2025年9月)
アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイルメアリー』早川書房
発売当初からずーっと気になっていたものの、読むには至らなかったがいよいよ映画化するとなって手に取った本。そして前評判通りの面白さで一気に読んでしまった。しかし帯になぜか表に出まくるプロデューサーやそんなに読書家のイメージがない元アナウンサーを起用する早川書房の節操のなさに悲しくなってしまった。フロムの『愛するということ』の帯のような悲しさがあった。
そしてストーリーについてはともかく、これをどう映像にするのだろうか。読む限りなかなかにハードルが高いようにも思う。しかし『火星の人』も「オデッセイ」として見事に映画化されたことを考えると期待してしまう。
小説が苦手な自分が読むのが止められないほど面白かったのでぜひ読書嫌いの方も騙されたと思って読んでみてほしい(できれば映画公開前に)。
ダンカン・ワッツ『偶然の科学』早川書房
大学院のゼミの課題図書だったので再読。改めて読むとかなり計算社会科学の入門、あるいは概説書としてのクオリティの高さに驚く。イメージ的には『なぜビジネス書は間違うのか』に近い。そして実際に本書内でもこの本への言及がある。
社会科学における因果推論の妥当性に対して疑問が呈されており、基本的には伝統的な社会科学に対する挑戦と刷新の試みと言って差し支えないと思う。
しかし、一口に社会科学といってもこの本の著者のように物理学のバックグラウンドを持つ社会科学者が考える社会科学と、”伝統的な”社会科学のトレーニングを積んだ質的研究に寄った社会科学者の間ではそもそものビジョンが共有できていないようにも思う。
ジョセフ・E・スティグリッツ『資本主義と自由』東洋経済新報社
ノーベル経済学賞受賞経験のある著名な経済学者、スティグリッツが自由と市場について議論する一冊。
この本は新自由主義はその名前とは裏腹に自由を奪うものであったと主張している。つまり、適切な形での政府による市場介入があってはじめて公正で自由な資本市場は形成できると説く。そしてネオリベに対する痛烈な批判を展開し、進歩的資本主義の必要を訴える。進歩的資本主義については過去の著作でも触れられていたが、よりその必要性を強める主張が本書では展開されている。
マルクス・ガブリエルがいう「倫理資本主義」よりもはるかに説得力と強い問題意識が見える。しかしやはり、こうしたコンセプトをいかに具現化していくのか、ここにこそ政治や行政、あるいは経済界と学術界の橋渡しが必要なのだろうと同時に思わされる。
大塚英志『「日本文化論」はどう創られてきたか』集英社
カルチャー批評などの多数の著作がある大塚英志の一冊。タイトルの通り、われわれが「日本文化」として受容する数多のものがどのように創られたのかをモンタージュというフレームから批判的に見ていく一冊。
「創られた」という表記から分かる通り、「日本文化論」が人工的に創られていったことが問題の出発点となる。そしてその出発点は奇しくも以前の万博にあるという。そしてここにモンタージュという表現手法が用いられている。ここからこの「日本文化論」へと迫る旅が始まる。
直接言及があったか記憶が定かではないが、ボブズボームらの『創られた伝統』へのリスペクトも感じる。
最近は落ち着いたようにも思うが、マスメディアによる愚かな日本称賛バラエティや伝統へのリスペクトを感じない右派勢力による伝統や文化に関する主張を聞くことが増えた今、読んでおく必要があるのかもしれない。
加藤喜之『福音派』中央公論新社
日本ではまだまだその理解を実感とともにすることが難しいが、特に近年強い影響力を持つ福音派がどのような世界観で、そしてどのように浸透し、今影響力を増しているのかについて丁寧に記述されている。チャーリー・カーク氏の射殺事件でもより一層この本を読む必要性は増したようにも思う。
一方で本書を離れてこの本の日本での受容について考えたい。つまり、ある意味で「福音派」のようなタームが一種の記号と化し、知的エリートであるか否かを線引するものとして作用している気がしてならない。正直に言って福音派について知っているよりも、参政党をなぜ警戒すべきなのか、高市首相の誕生を素直に喜べないのか、これについて知って、話せることのほうがよっぽど日本のエリートには必要な教養である気がするが残念ながらそうは作用せず、むしろアメリカについて詳しい方が「グローバルエリート」かのような錯覚を生み出す。そしてこの風潮の中心にいるのが動画メディアを中心としたニューメディア群にあると思う。
福音派という視点からアメリカを見るよりも、この本を読んで、誰がどのようにこの本について語っているか、取り上げているかを見るのも面白いのかもしれない。

