断片的で部分的な読書記録(2025年6月)
ジェイコブ・ヘルバーグ『サイバー覇権戦争』作品社
タイトルの通り、サイバー空間(領域)における覇権をめぐる大国の戦いの最新動向がまとめられている一冊。
最新と言っても、原著は2021年発売なのでもう4年近く経ってしまっているという点には留意が必要。
ただし、第二次トランプ政権で国務省の次官を務め、Palantirの政策顧問などの経験を持つ識者がサイバー空間における脅威・リスクをどのように理解し、そのために米国が取るべき政策、安全保障体制がどうあるかを知るという意味では一読の価値がある本だと思う。その一方で、もはや「定説」と言ってもいいような、ロシアによる情報工作や中国による情報空間上での攻撃の実態などが述べられている。しかし、生々しく緊張感のある記述が面白い。
ではどうするのか、彼が本書で提案している政策の多く(米中のデカップリング、台湾の保護など)は既に現実のものになっていると言ってもいいと思う。問題はこの舞台を日本に変えた時に何が考えられるかだと思いながら読んだ。残念ながら、おそらくここまでの危機感は政治や行政、国民の間で共有されているものではないと思う。そしてその反面、特にこの1〜2ヶ月、与党を中心に偽情報に対する規制を巡る議論が起こっていることに警戒感がある。つまり、表現・言論の自由と公共性、そして政治による事実上の言論統制にならないような体制構築、これらをどのようなバランス感で実現できるのか。
そういった意味で良くも悪くも数多の実践知のある米国の事例を元に考えるよい材料となる一冊。
マイケル・パワー『監査社会』東洋経済新報社
現代における監査文化についてはデヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ』でその問題に気づいた人も多いのではないだろうか。
人類学における監査文化、監査社会の探求はさらに前、イギリスの人類学者マリリン・ストラザーンが編者を務めた『監査文化の人類学』という本でまとめられている。ここでは大学や開発国など様々なフィールドを舞台に、いかに「監査」という制度が組織の在り方や人間の関係、制度を変化させ、そして「ブルシット的な」ものを生んでいっているのかということが人類学的な方法で描き出されている。
そしてその『監査文化の人類学』に影響を与えたのがこの『監査社会』である。
イギリスでは特に80年代を境に「監査」という言葉がさまざまな領域で用いられるようになってきたという。人々は監査に対応するため、それまで以上に自分の仕事がどんなインパクトを生み、そしてそれがなぜ必要であるのかを説明するようになっていった。さらに「監査社会」は拡大していき、いまではほとんどの組織が監査の対象となっている。
監査の膨張はさまざまな形で社会を正し、そして歪ませているだろう(e.g. 日本における大学改革)。そして監査それ自体が1つの産業を作っている。そしてAIはこの監査のタイムスパンをより縮め、いずれは即時的に監督が行えるようになるだろう。決して牧歌的な価値観がよいとは思わないが、我々は社会を自らの手で息が詰まるものにしていないか、そんなことを考えた。
堀元見『読むだけでグングン頭が良くなる下ネタ大全』新潮社
ははは。こんなに肩の力を抜いて読んでいるだけで頭が良くなるなんて!
というのは冗談だが、下品なジョークが好きな人は絶対に楽しめる一冊だと思う。
ゆる言語やゆるコンピュータよりもこういったアウトプットの方が僕は好き。あとはサバの話のブログ。
そういうわけでタイトルの通り、セックストイの発展やセックスにまつわるカルチャーの進化を歴史の視点から理解していくという面白い本。
あんまり解説やこれ以上言葉が要らないくらいストレートな本なのでタイトルで興味が湧く人は必読の一冊。
スティーヴン・キング『書くことについて』小学館
「ショーシャンクの空に」や「スタンド・バイ・ミー」、「イット」などの映画原作で知られるスティーヴン・キングの自伝的エッセイ。
この本の面白さはタイトル回収、つまり「書くこと」に至るまでにスティーブン・キングの半生についてが書かれているところ。ただの指南書ではない。
そうして読み進めていくと、スティーヴン・キングの執筆術、文章術についての論考が展開されていく。これがすごくプラクティカルで面白い。
これもここでどうこう書くよりも、薄くサラッと読める本なのでまだ読んだことのない人はぜひ一度読んでみて欲しい。すぐに技に行きたい人は後半から読み始めるのもいいかもしれない。
ルイス・A・デルモンテ『AI・武器・戦争の未来』東洋経済新報社
これもちょっと古い本。むしろこれが書かれた当初よりもある部分では進歩し、ある部分では悪化しているのが現在だと思う。
そして何より、この本の出版以降に登場したChatGPTによって、読者はよりリアリティを持って自律型兵器の脅威を感じることができてしまっている。
広く政策決定者にそうした現実が共有された今だからこそ、国際社会はより積極的に自律型兵器の規制に取り組む必要があると思う。ロシアによる侵攻に端を発したウクライナ戦争は「兵器の見本市」とさえ呼ばれている。イスラエル軍によるガザ市民の虐殺にもAIを含む最新技術が使用されていることも既に報じられている。
もはや遠隔操縦のドローンによる攻撃の倫理的問題だけではとどまらず、攻撃命令以降、人が一切介入せずに人を殺すことの是非や規制、さらにそうした時代の戦争について、真剣に考える必要がある。

